若林正恭の話。
興味ないですよね皆さん。
別にいいんです。
僕自身が書きたいことをぶん殴りながら書ける場所を作ったのがここなので。
本当に好きなんです。
心の底から。
僕の熱量が高すぎて安易にオードリーのツイートがしにくい人もいるんだろうなっていう空気感も察してます。
春日とハイタッチしたことのある25歳になりたての男がひたすら40代の芸人について愛を語るブログです。
最後まで読んで頂けたら嬉しいです。
今日の若林のnoteにこんなことが書いてありました。
「自分語りは煙たがられるけど、自分を語り合う人同士の会話は迎合されるんじゃないか」
また彼の沼にひとつ落ちました。
その通りだと思うんです。
欅坂。
なぜオタクじゃない友人に喋ることを躊躇うか。それは向こうからしたらただの自分の趣味の押し付け、自分語りになるからです。
どうせ分かり合えないし。
でもオタク同士の会話を鑑みると"自分を語り合う"行為に落ち着くと思うんです。
俺は平手のここが良い。
俺は菅井のここが良い。
いいよな。いいよね。
共通の語らいのテーマを持つことによって煙たがられる自分語りがここまで迎合されるんです。
後出しになるのが少しダサいですが、僕はこれをずっと思ってました。ただ言葉にできなかった。
若林はそれを上手く丁寧に言語化してくれました。
また同じ記事で
長くて熱い言葉は歓迎されない。
それは冷笑の引き金に過ぎない。
短くて冷めた言葉、所謂正論は歓迎される世の中。もうちょっと多様性を持っても良くない?
って言ってました。意訳になりますが。
長くて熱い、本当に僕のTwitterのまんまだなと。
それをどうにかみんなに理解してもらいたい、自己開示を出してしまう。
痛い、厨二病、自己陶酔。
誰得だよと言われるその空気感が日本人には蔓延してるんです。
僕も言ったことあります。
昔に若林がラジオで下記のことを言ってからそういう人間を許容する事ができました。
正しいことを言うな。
不正解を遊べ。
これは常に正論を突きつけてくる友達に毎回言ってます。
"駄論"があって初めて"正論"が生まれるんだと思ってます。
少しニュアンスが変わりますが分かりやすく言えばイケメンはブサイクがいて初めてイケメンとして評価されるんです。
以上のような、長くて熱い自分語りをしてもいいんだよ。だって君と接点がない人間でも絶対に世界のどこかに君と同じ考えの人はいるからって思うだけで生きやすくなるから。って若林は最後に言ってくれたんです。
めちゃくちゃ肩の力抜けました。
僕のTwitterをやる意味を見出せた気がします。
フォロワーだけが全てじゃない。
叩かれて鍵をかけてる現状は愚の骨頂です。
若林は3冊本を出版してます。
社会人大学人見知り学部。
これはまだガンガンに尖って偏屈でみんなのイメージの人見知りの若林が雑誌で連載してたコラムをまとめたもの。
世の妬み嫉み、不安や羨望が全て詰まってます。皆さんどこかしらで絶対に共感するエピソードがあるはずです。
表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬。
2冊目。
これは死別した父親がずっと行きたいと行っていたキューバに人生で初めて一人旅をした際の話です。
ここで不正解を遊べるようになった若林に進化します。
若林の父親が健在だったらまだ捻くれてたと思います。それぐらい父親とキューバを照らし合わせて自分なりに変化する様がとても面白いです。
ナナメの夕暮れ。
3冊目。
最初から最後まで前向きな本です。
2冊に記した経験を経て全てを真っ直ぐに見ようと。ナナメをやめようっていう本です。
僕は1冊目が一番好みですが生きやすくなったのは3冊目です。
全て別のテーマで書いた3冊なのに若林正恭という男の成長過程が前中後編として読めるかなり読み応えのあるものになってます。
誰にも言えないし言葉にするのも難しい、生きにくいと思ってる人はこの3冊読めば多少楽になるのではないかと思います。
僕はこの3冊がなかったらいまだに捻くれたままだったと思います。
可愛い子に可愛いって言っていいんです。
ダサかったらダサいんです。
オブラート、気を遣うとはまた別の話なんですがこれもまた言語化が難しい。
若林正恭ならこれをどう言葉にするんですかね。
そういう語彙の塊の男に魅了されて毎週ラジオを聴いてます。
土曜深夜1時からやってます。
発想がイカれててかっこよくて頭も良い最高のおじさんたちが仲良さそうに二時間喋り倒してます。
気になりましたら是非。
PS.
春日俊彰の童貞卒業は19歳。
当時の彼女の若林達からのあだ名は土偶。
すいか。