10年の話。
僕が中学校を卒業した日から10年が経ちます。
もう10年、まだ10年。
去年もこの時期に書いたんですが、その時は当時その瞬間に何をしていたかを書いたので気になる方は読んでください。
読むの面倒な方はとりあえず僕が福島出身という情報で全てを察してもらえると助かります。
何話そうか少し悩んだんですけど特にないんですよね。
でも毎年いろんな形で自分の気持ちに整理をつけてきたので適当に話したいこと話しますね。
毎年自分の中でこういう時間を設けないと新宿駅を看板も見ないで歩けるようになってる自分に嫌気が差してしまうのです。
気持ちの整理をする。
一年それで東京に住む意味と価値を見出す。
そうすると新宿駅を歩いててもギリギリ耐えられます。
でもそういうのは終わりにしようかと思います。
東京に"いる"感覚から"住んでる"自覚。
そういう方向にシフトしようと思います。
去年見せれなかった写真があるのでまずそれをお見せします。
これがマジモンの生写真ですね。ウケる。
1枚目。
我が家の物置。
全部地震で崩れて散らかったわけではなくて山から猪が降りてきて荒らされたの込みの形跡です。
嘘みたいな本当の話で人がいないと猪が人んち荒らすんですよね。自分の家は物置だけだったのでまだマシな方です。
真ん中に転がってるのが僕が3年間乗り倒したチャリですね。
吉田のチャリはサドルがデカいで有名でした。
2.3枚目。
我が家のキッチンと食洗機です。
確かこれは避難から2ヶ月か3ヶ月後に初めて家の片付けだったり荷物を取りに帰れるよって国から言われて帰った時に撮った写真です。
僕がまだ15.6で連れてってもらえませんでしたが母が撮ってきました。
ゲロ吐きそうになりながら掃除してきたって言ってました。強い。
4枚目。
確か2年ぐらい友達みんなで地元に帰ろうって言って帰った写真です。
8年ぶりに自分の地元で友達と遊びました。
卒業式の当日だったんで何もかもがそのままだし、卒業した数時間後にはここに戻ってきて非常食食ってブルーシート敷いて段ボールに包まって寝てました。
ちなみに非常食ってそんなに不味いものじゃなくてバナナマフィンがめちゃくちゃ美味しくて、甘いもん食べて少し深呼吸出来たの覚えてます。
写真に戻りますね。
これの一年前に本来グレーな行為である廃校になった校舎に侵入したんですよ。
どこも鍵閉まってたんですけどガード緩いとこがあったんでぶち破って。
この時も校舎入れるだろうって思ったら侵入したとこがバキバキに固められてたから体育館は入れないのかと。
探した結果窓ガラスが少し割れてたとこぶち破って侵入したのがそれです。
廃校の肝試しって考えれば恐らく行為としてはセーフだと思ってるんですがどうなんでしょうね。
吉田写真館でした。
話変わりまして先週ですね。
このご時世あんま大きい声で言えないんですけど福島帰ったんですよ。
祖父の命日って言うのと諸々の用事で。
小学校も中学校も壊されてて流石に絶句。
自分の家ももうとっくに壊してあるので、家も学校もない、友達がいるわけでもない。
厳密に言えば1人友達は戻って理容師やってるんですけどそれでも僕はそこを地元と呼べるのか、少し引っかかってしまいました。
もちろん校庭の汚染作業だったり色んな建物が新しく建ってたり、間違いなく10年前より綺麗になってるし良くも悪くもスッキリしてますよ。
でもあまりに景色が違いすぎたのがショックだったんですよね。
登校してた時には学校の影になって見えなかった山や建物が見えるんだもん。
ビビるって。
なにかしらの、それこそ写真館とか復興を繋げる建物は建つんでしょうけどそのスピードにこっちはついていけないのです。
ケヤカスの亡霊と一緒です。
場所は変わってなくても上積みが変わればそれは違う町です。
僕がクラスの子達と成人式の時に開けようねって言った小学校のタイムカプセルはどうなったのか。知る由もありません。
でもずっと悲しいことを言っててもしょうがないのでね。
受け入れなきゃいけないんですよね。結局。
生まれ変わっても絶対に良い町になるとは思うのでね。
ギリ生きてるかな〜ぐらいの年齢なので死ぬ前に生まれ変わった地元を見てから死にたいなって思ってます。
お願いするような話ではないのですが、3.11にYahooの検索エンジンで3.11って検索すると10円の募金になるんですよ。
知ってる人もいると思います。
さっきも言いましたけど廃炉まであと50年かかるので、正直いくらあってもありがたいんです。
福島もまたまだやる事たくさんあるので。
厚かましいお願いで本当に恐縮ですが、お時間あれば1分だけYahoo触ってくれたらなって思います。
最後になります。
さっき上積みが変わったらどうの喋ったじゃないですか。
ひとつだけ変わらないものがありまして。
富岡の桜並木って言えば福島じゃ有名で全国で賞も取ってるんですよ。
むちゃんこ綺麗。だった。
前までは比喩とかじゃなくて満開の時は見上げると空見えないぐらいギッシリ咲いてたんですよ。
写真のですら薄いなって思います。
今はもっとスカスカです。
桜って育つのにすごい時間がかかるらしいのでここからもう一回桜並木を構築するのにはあと50年ぐらい、下手したらもっとかかるって町の人に言われました。
たぶんこの桜並木が震災前の状態に戻って初めて富岡町の復興は終了なんだと思います。
復興が終わったら今度はそれを震災を知らない子達に継いでいかなきゃいけない。
原爆と同じです。
今後同じようなことが起きた時にその語り部によって救われる命はきっとあるので。
何もないのが1番ですけどね。
東北だけじゃないです。
熊本も北海道も、各地の水害も。
首里城も直さなきゃいけない。
自分たちが知らないだけで本人達は数年経ってもその傷はなかなか消えないもんです。
古傷がいつ開くかもわからない。
また新しい傷を作らないように備えましょうね。
傷は少しでも小さい方が良いんです。
そういうお話です。
PS.
東京きて1番良かった事ってなんだろうなって考えたらまずライブに行きやすいんです。
その場所で色んな人と出会えて、今まで通りに生きてたら絶対に得られなかった多くの知見を得られたことだと思います。オタク以外の部分で。
これからもよろしくお願いします。
文責:すいか。